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英連邦戦没者の追悼礼拝に参加 (8月5日)

2023年8月13日

2023年夏「戦争と平和」~英連邦戦没者追悼礼拝に参加しました

2023年夏は、第二次世界大戦に日本(領地含む)で亡くなられた英連邦戦死者のための追悼礼拝に参加してきました。ウクライナでの戦争を目の当たりにし、平和を享受していることを改めて感謝するとともに、同時に過去の民族の罪を悔い改めながら、平和な世界に至るように考え、祈る時間となりました。

追悼礼拝に参加して…

英連邦戦死者墓地は横浜市の保土ヶ谷にあり、緑地のきれいに整備された敷地の中に、一人一人の墓石があります。お墓に目を落とせば、名前、年齢が刻まれており、20代の命も多く目に留まります。英連邦の国では戦場で亡くなった方々はその地で葬るということが伝統だそうです。過去、フィリピンでいくつかの戦地を訪問した時、日本は慰霊碑一つが置かれ、かたや連合国側は、一人一人の墓地を作り、管理しているのを見ながら、命に対する尊厳の違いを痛く感じたことがあったのを思い出しました。

追悼礼拝でのメッセージの中では、ちょうど、2023年が関東大震災から100年ということで、その時にも、混乱の中で起きたデマにより、在留国籍の方の命が失われた話から、このような性根の部分が今の私たちにもないのかと…。皆さんで讃美とお祈りをした後は、各慰霊塔に行って、献花を捧げる時間になります。

戦没者墓地は、各国・各地域に区切られており、イギリス本国以外では、オーストラリア区、カナダ・ニュージーランド区、インド・パキスタン区とそれぞれの場所に移動して、各国の代表と日本人で一緒に献花を捧げました。

第二次大戦、フィリピンでは兵士・民間人合わせて100万人以上の死者を出してしまいました。フィリピンは太平洋戦争に巻き込まれた国であり、日本は加害者だということを学生の頃に、知るようになりました。アジアの平和を考えるときに、このような歴史があったことを避けて通ることはできません。毎年、終戦記念日を前に、このことを思惟し、祈る時間を作るようになりました。

この追悼礼拝の開催に至る趣旨の抜粋を下記に記載します。

第二次世界大戦中、日本は、アジア・太平洋地域への侵略により、多くの国々と国民の生命を「恐怖と欠乏」の中に陥れました。各地でその住民を強制労働に徴用し、連合国からの駐在者をも収容所に拘束留置し、国際法に悖(もと)る扱いをしました。オーストラリアのカウラ収容所での日本軍将兵捕虜何百人もが自殺行為の集団脱走をした事件の背後には、沖縄戦の場合のように、自決を強制し、投降を許さず、捕虜になることを禁ずる軍司令部の教育がありました。その教育のため日本軍は、敵軍の捕虜を人間とはみなさなかったのです。
バターン半島の「死の行進」では2万人以上が殺されました。そして、クワイ河流域の「泰緬鉄道」敷設工事では、強制重労働と残虐行為により、現地労務者を含め、数十万人が犠牲になったのでした。
 強制労働ののち日本に移送された捕虜たちを待っていた処遇は、軍需工場や炭鉱などでの重労働、栄養失調、重傷も重病も、ただ放置されることなど、苛酷なものでありました。多くの捕虜が故郷に帰ることができず、この異国で生命を奪われました。
 連合軍捕虜のうち、一千八百余名は、横浜市保土ヶ谷の英連邦戦死者墓地に眠っています。
怨恨と憎悪を克服し、過去の事実を直視し、わが国の戦争責任を認識し、被害者へ謝罪すること、それが和解の前提です。わが国の指導者は日本国日本人の犯した過去の罪に目を背けています。しかし、私たちは、その罪を見据え、心からの謝罪を表明いたします。
8月の暑い中この礼拝は行われますが、それは、そのような犠牲者達の声を聞くためです。
それを聞くことにより、私たちは先の戦争で犠牲となった310万人ともいわれる日本人同胞、また2千数百万にも及ぶアジア人同胞の犠牲者の死に対しても追悼をするのです。今の私たちの平和は、そのような計り知れない犠牲の上になりたっているものと考えます。
この平和を次世代にも引き継ぐため、私たちは毎年8月第1土曜日午前11時を覚え、いかなる情勢においてもこの追悼礼拝を継続し、「平和を創り出す者」として、戦争の記憶を継承していく使命を果たしてまいりたいと願っております。

「英連邦戦没捕虜追悼礼拝の趣旨」より抜粋